ゆったりセラピー協会設立10周年!

記念講座として、ゆったりセラピー創始者の鎌田麻莉を囲んでの

お話会と“和のカラダ”レッスンを行います。

進化し続け、探求し続ける鎌田麻莉の”今”を体験してみませんか?

 

“きっと、長い間探していた何かに出会うでしょう。”

 

 

<和のカラダレッスンについて>

和のカラダレッスンは、ゆったりセラピー創始者の鎌田麻莉が、
ゆったりセラピーを学び実践するために探求しているカラダの使い方レッスンで、
ゆったりセラピーのタッチの質を高めていくための筋力トレーニングも含まれます。

ゆったりセラピーの心得は、「ゆっくり、丁寧に、しっかり触れる」というシンプルな言葉で表現されています。エサレンボディワーク(エサレンマッサージ)を基とするゆったりセラピーを、高いレベルで実践するためには、カラダの使い方が重要で、それらは「寄りかかり」、「同手同足」、「すり足」などが基本の身体技法です。

こうした身体技法は、日本古来のものとして知られていますが、一般庶民の生活の中で、衣食住を営む一つ一つの方法に至極当然のものとして実践されてきたカラダの使い方でした。郷土芸能などの伝統文化にもこうしたカラダの使い方が生かされています。

私たち一般庶民は、為政者のように自らの歴史を詳細に文字で記録し保存することはあまりありません。というか、ほとんどそうしたことはないわけですが、一人一人のカラダに、無意識レベルで刻みこまれる形で歴史が残されるのです。その刻み込みは、少なくとも日本列島においては、おそらく世界最古の磨製石器の発見された3万8千年まで遡るのではないか、と鎌田は言います。

ヒトが人間となり、共有と共感とともに生き始めた時代まで遡るカラダの使い方、それが触れることの質にとって本質的に重要なのだということを、ゆったりセラピー協会10年の活動は明らかにしてきました。しかも、そうした万年の長さの刻み込みの歴史であるカラダの使い方を私たちは、失いかけているということにも気づかざるを得ませんでした。
しかしながら、その刻み込みは先の大戦に負けるまでは、基本的な部分は太古の昔から大して変わることはなかったのではないか、と鎌田は言います。

敗戦後、私たちの暮らしは大きく変わりました。
食生活をはじめとして、変えさせられたと言った方が正しいでしょう。

茅葺き屋根の民家は、広い土間を持ち竪穴式住居を彷彿とさせます。
採集、栽培、漁労、狩猟に根ざした縄文的な生活は、私たちの祖父母の時代までごく当たり前に続いてきました。そうした生活の中で、万年の時間軸で受け継がれたカラダの使い方も続いてきたのです。

現代に生きる私たちは、そうしたカラダを失いかけています。

”カラダ”は、肉体を表すのではなく、身体観であり、身体性であり、世代を超えて継続する、そういうものを“カラダ”とカタカナ表記しました。肉体としてだけならば、私たちは個々に肉体を所有しているかのようですが、“カラダ”とは、個人の所有ではないのではないか。そして、その地点に立った時に起こる癒しというものがあるのではないか。鎌田は問いかけます。

そうしたカラダを、”和のカラダ”と呼んでみたいと思います。

タッチの質を維持するためには、どうしても“和のカラダ”が必要なのではないか。

これがゆったりセラピー協会10年の活動の成果ともいえる問いかけです。

まだ構築途中の和のカラダレッスンですが、集まったみんなで、カラダに向き合い、カラダを共有しましょう。もし仮に私たちが、“和のカラダ”を取り戻し万年の歴史を持つであろう自らの歴史を共有しなければ、そこにはロボトミー化したカラダで生きる、という未来が待っています。つまりロボットのように、他者からコントロールされた考えと動きで生きて、死ぬことさえままならないという選択です。

そしてそれはもう始まっています。
近年増えているストレートネックなどをはじめとする肉体の変化、首コリ肩コリ・頭痛腰痛・目の疲れ・足のむくみなどのカラダの辛さは、それを物語っているのです。

 

 

エサレンスピリットと縄文文化、そして”和のカラダ”

縄文時代、と聞くと私たちは、いったい何を思い浮かべるでしょうか?

原始人と思しき半裸の人々が、石斧を振り回して動物を追っている姿でしょうか?
それとも縄文土器と呼ばれる多彩な土器や、ユニークな土偶の数々でしょうか?
縄文時代に生きた人々は、どのような暮らしをし、どのような精神世界を生きていたのでしょう。
そして現代の私たち、日本人とどのようなつながりがあるのでしょう?
日本という、私たちの国の建国とつながっているのでしょうか?つながっていないのでしょうか?

カリフォルニアの沿岸部、サンフランシスコとロサンゼルスを結ぶ海岸線の中間に、ビッグ・サーと呼ばれる、レッドウッド(セコイア)の巨木の森と、太平洋にその大地が落ち込む様な断崖絶壁が続く風光明媚な地域が広がります。

ご多聞にもれず、その地域にも18世紀にスペイン人の探検隊とキリスト教の伝道師がやってきます。彼らが持ち込んだ疫病や、また暮らしの激変により、先住民族であるオローニ族の人口は激減しました。オローニ族に属するとされる最も古くからその地域に住んでいたと思われるエセレン族(エサレンの語源とされる)もまた滅亡の危機に瀕しました。

エセレン族が、祭祀を司っていたと思われるストーンサークルのような石の遺跡(お墓とも聞いています)があり、温泉が湧く、ビッグ・サーの太平洋を望むとある土地に、のちに、西洋文明の危機を感じ取っていたアメリカ人の二人の若者が研究所を設立しました。

それがエサレン研究所です。
その研究所は、1960年代そして70年代とアメリカ社会にヒューマンポテンシャルムーブメント(人間性回復運動)の一石を投じることになります。その一端は、ヒッピームーブメントや、ニューエイジとして日本にも紹介されました。

ゆったりセラピーの基となっているエサレンボディワーク(エサレンマッサージ)は、この研究所で生まれたのです。

 

エサレン研究所にあるストーンサークル

西洋文明がやって来て滅亡の危機を迎えるまでのエセレン族(オローニ族)の生活は、近代になるまで極めて縄文的だったと言えます。

彼らが常食としていたのは、つぶしたドングリ、ハシバミ、草の種、草の実であった。
それ以外の植物や、狩ったり罠で捕えた小動物、魚や他の海産物(サンフランシスコ湾および太平洋でとれる二枚貝、巻き貝を含む)も
彼らの食生活に重要であった。これらの食糧は古くは豊富であり、また注意深い作業を行うだけでなく、自然資源を積極的に
管理することによって保たれていた。(ウィキペディア「オローニ族」より)

考古学的には約6000年前の貝塚も発掘されているようです。6000年前といえば、日本列島では縄文時代前期で各地に集落の数が増え、拠点となる集落も形成され、土器だけではなく漆を使った道具も発展していました。貝塚もすでに多くの場所で発掘されています。エセレン族は、縄文人のような土器や土偶は残さなかったかもしれませんが、ビッグ・サーのいくつかの洞窟に興味深い数々の岩絵を残しています。

6000年前は、おそらく同じような生活をしていたであろうエセレン族と縄文人ですが、私たちの祖先である縄文人は、その後早い時代に、多様な人種と文化に接触し、それによる疫病も経験したには違いないのですが、同時に免疫も獲得し生き延び人口も伸び、水田稲作による統一国家を築くという道を選ぶことによって外国からの侵略を免れ、時代によって様々な変遷を経験しながら、日本民族としての一貫性を現代まで継続してきました。

現代のエセレン族は、500人ほどの規模の部族会議を組織し合衆国の先住民問題局に認可を求めて係争中と聞きます。

「民族とは、神話と歴史と言語を共有する人たちを意味する。」
と竹田恒泰氏が、「中学歴史 令和2年度文部科学省検定不合格教科書」の中で「刊行に寄せて」の一文に書かれています。であるならば、日本民族として私たちは、言語は共有しているとしても、どんな神話と歴史を共有しているのでしょう?

 

先ずは、縄文文化をキーワードに歴史を振り返ってみましょう。ゆったりセラピーでは、そこに共有する“カラダ”も付け加えたいと思います。“カラダ”は、神話と歴史と言語の対極にあるようで実はその背後にある言語以前のもの、そして顕在意識には現れない、潜在意識に潜む何かです。

日本人が共有する日本人の“カラダ”とは、一体どういうものなのでしょうか?それは縄文人から受けついだものなのでしょうか?
そこに日本人の民族性を見出すことはできるのでしょうか?

民族のカラダ文化を一人一人の肉体で受け継いでいくことは、神話と歴史と言語を共有するための基盤となるものであり、ひいては国の形の元になるものです。縄文人が生きたクニの形はどんなものだったのでしょうか。彼らは、1万年以上に及ぶ戦争のない時代を生き、文字による記録こそ残しませんでしたが、”和のカラダ”をその肉体に刻み込み、万年の時空を超えて私たちに残してくれたのではないでしょうか?

~10周年記念講座~
エサレンスピリットと縄文文化、そして「和のカラダ」

講座詳細
開催日 2023年9月25日(月)
時間 18:00~21:00
会場 中野区、新宿区近辺。お申込みの方にお知らせします。
定員 30名
講師 鎌田麻莉( 社)ゆったりセラピー協会 代表理事)
参加費 3,500円  (ゆったりセラピー協会会員の方は3,000円)
備考 【持ち物】動きやすい服装、飲み物
前座で「ゆったり舞踊団(新規結成)」の踊りあり